2009-08-02

天竺僧の眠り

つい先日の絶世の美女マハラニ(女王)Gayatri Deviに関する記事「薔薇色の街も泣いているだろう」に、みけさんから奈良県の飛鳥寺についてコメントを有難~く頂き、♪遙か~遠い記憶の海を彷徨い泳いでいた♪ところ、「あわわ!この人のこと忘れてちゃダメじゃん!」って御方が夢枕にお立ちになりました(^^;
その御方の名前は・・・
菩提僊那(ボーディセーナBodhisena)
8世紀に来日し、奈良の地に骨を埋めることになったインド人です。
この御方、奈良の大仏さん(東大寺盧舎那仏)に魂を入れた(開眼供養会のこと)お偉い方だそうです。
この御方のことを知った時(学部生時代)、へぇえ!そんな時代にインドから遙か日本までいらっさったのねん!と驚きました。歴史的記録が残っていると言う意味での来日インド人第一号ってわけです(この件に関してはEmbassy of Japan in India: Lectures by the Ambassadorに分かりやすいお話が掲載されています「日印を結ぶ文化・地下水脈」在インド日本国大使館Lecture)。
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で、学生時代に某O大学の某A教授に連れられて、菩提僊那の墓石があるという霊山寺(りょうせんじ)へと出掛けました。
近鉄の富雄駅を降りて富雄川沿いの長閑な風景が広がる道をバスも利用せずひたすら歩いたことを覚えています。
霊仙寺は、その山風景がインドの霊鷲山グリドゥラクタGrdhrakuta(釈尊が法華経を説いたと言われる仏教聖地の一つでマガダ国の都市遺跡ラージャグリハRajagrha近郊の山)に似ているとからということで菩提僊那が命名(霊仙寺のHPでは「奏上」となっています)されたのだそうです。

☆ここで古代インド史の問題です。ゴータマシッダールタ(釈尊)が出家して修行に入ったとされる地ラージャグリハ(王舎城)を首都とするマガダ国は、当時ガンジス川上流域にあったコーサラ国とインド中原で二大勢力を誇り、互いに抗していました。紀元前5世紀頃、二国間抗争はマガダ国が勝利を収めます。マガダ国勝利の要因について簡潔に述べなさい。

んでもA教授によると、菩提僊那さんは大安寺(奈良市大安寺)に住まいし、そこでお亡くなりになったとか。で、遺骨も「登美山に埋葬された」ということで、場所も特定するのは難しいとかいう話ですねんけど..。
#因みに大安寺の秘仏とされている「十一面観音立像」(画像はココをクリック)は、菩提僊那さんが天平時代の奈良に伝えた古密教の影響を強く受けていると考えられています。曼荼羅を中心とする体系的な密教が伝播していない時期に、奈良の都においてはすでに陀羅尼信仰が流布していたらしいです。
画像で見る限りですが、美しいですねぇ、観音様。


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ま、余り詳細な史料や遺物はそうそう残っていないのでしょう。開眼供養会に使ったと言われる筆があるとか..。どこに遺骨が埋められたのかは分かりませんが、遙か故郷の霊鷲山に似た景色が広がる所であったのは間違いないみたいですね。
で、この霊仙寺って所にはバラ園があって、HPに「秋バラは10月中旬頃から見頃になります」と案内がされています。
霊仙寺ホームページはコチラ→大和國 登美山鼻高 霊山寺
トップページ「萌芽仏心」・・・なかなかよろしおすなあ。
奈良のお寺巡り兼ねて、秋に奈良路を訪れようかしら。。。

薔薇の名前:『ブランピエーぅルドゥロンサール』(HT)〔Meilland, 2005〕
ブランピエールドゥロンサール(Ant白) 国産苗新苗

#2枚目の画像はRajasthan州で楽趣味が撮影したHinduの廃寺(?)です。本文中の寺院とは関係ありません。

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