バラヲタであるキムヲタてんちょが以前彼のブログ「バラと暮らす日々」でバラの「マチルダ」命名の由来について書いていた(詳細はココをクリック:リンク予定*)。フランス人歌手のシャルル アズナブールの別名をも持つこのバラ。つい最近の記事で蕾(赤ちゃん)の様子を掲載した。今日はたおやかに開き大人の女性へと変貌しつつあるステージの画像。
#某BBSで一部盛り上がっているアニメに関連しての記事掲載ではございません。念のため^^;
マチルダという女性の名前は、バラと深い縁(えにし)を持つのではないか?
イギリスで栽培されたバラの歴史を紐解くうちに、出会った史実。
以下、その概略(イギリス史については、ドが付く素人ですゆえ)
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舞台は、後に「征服王」と歴史上呼ばれたノルマンディー公ギョームがウィリアム王となってノルマン朝を開いた12世紀イングランド。
ウィリアムがイングランドの王位に就いたために、先王エドワードの王子であるエドガーと王女マーガレットは亡命を決行。二人の乗った船は難破し、スコットランドに漂着。時のスコットランド王マルカムの庇護を受けた。そして、美しいマーガレットはマルカムに見初められ王妃に。
マルカム王の死後、スコットランドは王位を巡る内乱が発生したため、マーガレットは一度出国したイングランドへ再度亡命することに。あぁ、運命のいたずらかっ(浪花節調で)。
征服王ウィリアムには四人の息子がいた。
ウィリアムの死後、玉璽を手中にしたのは四男のヘンリーであった。
そして、このヘンリーの王妃となったのが、皮肉にもイングランドへ再亡命してきたマーガレットの娘、
マチルダMathilda
ウィリアムの死後、玉璽を手中にしたのは四男のヘンリーであった。
そして、このヘンリーの王妃となったのが、皮肉にもイングランドへ再亡命してきたマーガレットの娘、
マチルダMathilda
だったのでした。べ、べんべんべん♪
運命のいたずらに翻弄されるマチルダ王妃、その聞くも涙語るも涙の物語は明日に続く・・・
ヨーロッパの歴史、特にイングランド、スコットランド両王家にまつわるお話は、とにかく似たようなお名前がたくさん出てきて、当たり前のようなカタカナ表記(日本では)なかなか覚えられません。
返信削除この悲劇の王妃マチルダの名を頂くバラ。
この花の魅力は何といってもミルク色の花びらに広がるようなピンクの色調ではないかと思っとります。
一度だけしか見たことない・・将来的にはぜひ我が家にもお迎えしたい逸品です。
みけさん
返信削除Namaste!(これはおはよーにも、ちわっにも、こんばんはにも、みすやお~にも、ばいちゃ!にも使えます)
少し前からマチルダのことを調べていて、
バラの名前マチルダがMatilda
ヘンリー1世の王妃マチルダがMathilda
と綴るということを知りました。
イングランドの場合は、マティルダと表記した方が良いのかも知れませんね。
お庭の整備をしつつ、是非早めにお迎えして下さい。
Matildaも殿堂入りのバラだったかと...
後代に残る逸品だと思います。